平成17年3月の新不動産登記法の施行により、現在では不動産の登記申請した後に、新たに登記名義人となった申請人には、右のような12桁の数字とアルファベットの組合せからなる「登記識別情報」が通知されるが、旧不動産登記法の下では、「登記済証」が交付されそこには取扱い官庁の登記済印が押捺されていた。
その登記所の登記済印も、明治20年の登記制度誕生から100年にもおよぶ長い歳月の間には、いろいろと移り変わってきたので、ここでは、その変遷を見ていきたい。
(画像は一部加工しています)
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(1)明治30年1月長浜区裁判所某出張所の登記済印
明治20年登記業務は非訟事件として治安裁判所で取扱いがなされていたが、明治23年の裁判所構成法が施行の後は、登記業務は区裁判所で取扱うものとなった。ただし、この当時の登記済証を見比べると、取扱い庁によりその登記済印のスタイルは様々で、当時は厳格な規格がなかったものと推察される。
明治23年の裁判所構成法施行以前の登記済については、登記済証の歴史/明治大正篇を参照のこと。
(2)昭和15年9月大阪区裁判所某出張所の登記済印
大正から昭和初期にかけて登記済印の形式は全国で統一されたものになってきたのか、受付日・受付番号・登記済・取扱庁印が一箇所に集約されるようになった。このスタイルが戦後も継承された。
(3)昭和24年5月神戸司法事務局某出張所の登記済印
戦後日本国憲法及び裁判所法の施行に伴い、昭和22年から裁判所と司法省は分離されることとなり、 供託局が司法事務局と改組されて登記業務も取扱うこととなった。その後,昭和24年5月に法務庁が法務府に改称されたのを機会に,司法事務局は法務局と名称変更されるまでの約2年間は、登記済印には、取扱庁である「司法事務局」の文字が刻まれた。。
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(4)昭和32年9月大阪法務局の登記済印
この当時のものは、戦前のスタイルを承継して受付年月日・受付番号印は小さな慎ましやかなものとなっている。この登記済証を用いて所有権移転や抵当権設定登記を受けると、その内容を記したこれよりも大きくて立派な印判が、並捺されるため、登記済証を見慣れていない市民や事務所の補助者は、そちらを権利証の受付番号だと思ってしまう失敗がよく見受けられた。
(5)昭和32年10月大阪法務局の登記済印
(4)と同じ大阪法務局の登記済印であるが、登記済印が大きくなり格段に見やすくなった。(4)の登記済から1ヶ月しか経過していないので、同年10月1日をもって印判が変更されたものと思われる。
(6)平成9年11月大阪法務局某出張所の登記済印
登記済印と取扱庁印とが一体化されたもの。このスタイルのものが平成17年に登記済証の制度が廃止されるまで続いた。※1
(6)の特記すべきは土地区画整理の換地処分により新たに所有者に対して交付された登記済のものであるということだ。土地の合筆や建物の合体による場合も同様の但書の印判が押捺された。
(7)平成11年東京法務局某出張所の登記済印
(6)とスタイルは同じだが、スタンプの素材が変更され、浸潤式スタンプいわゆるシャチハタ印が採用されている。よって印影が極めて鮮やかに転写されるようになった。また東京管内のそれには、(7)のように下部に識別番号が入っているものがある。こういう細かい違いにまで気を配らないと、過去の東京地裁の裁判例によれば、偽造権利書事件に巻き込まれる恐れがあるので、登記手続の専門家である司法書士としては細心の注意を払いたいところだ。
〔注釈〕
※1不動産登記手続きについては登記済証・登記済印の制度は新法により原則廃止されたが、工場財団・船舶・建設機械等の登記には、従前どおり現在でも登記完了時に、登記済印が押捺され登記済証として交付される扱いである。
※2上記のサンプル登記済印に重なる縦線は、それが押捺された登記済用紙の罫線が写っているものである。