【登記済証の歴史】明治・大正篇

 登記手続きにおける登記済証の歴史は古く、明治20年2月1日施行の登記法(明治19年法律第1号)を嚆矢とする。平成17年3月7日新不動産登記法(平成16年法律第123号)の誕生により土地、建物の不動産にかかる登記手続きでは、登記済証はその姿を消し、新しい登記名義人には登記識別情報が交付されることなった。しかしながら新法施行以前の登記名義人に交付された登記済証はいまでも有効であるため、現在でも登記手続きの現場においては、登記済証を取扱うことはまだまだ多い。

 そのように今でも重要書類として取扱われている登記済証であるが、登記実務においては明治・大正期のものはほぼ目にする事はなくなった。ここに登記制度の研究者および若き司法書士の研鑽の一助になればと、コレクションの一部を開示する。

(1-1)旧登記法時代の登記済証~明治20年

 

 不十分な私権の公示手段であった地券制度に代わるものとして、明治20年2月1日登記法(明治19年法律第1号)が施行された。

 

 これは、明治20年12月10日作成の田地売渡証による所有権移転登記の登記済証であり、登記制度施行直後の極めて初期のものといえる。 

 

 末尾に朱書きで「土浦町地所登記第百拾四號」とあるだけで、登記済印たる公印ではなく、登記簿記載事項の末尾に押印されたものと同じ取扱登記官吏印がその下部に小さく押捺されている。

 

登記済証の契印には「土浦登記所」の文字がみえる。登記は治安裁判所で取扱うとされていたが、その設置箇所は少なかったため、明治21年9月までは地券書換事務を担っていた郡区役所で登記事務を取扱わせていた。土浦もそのため「登記所」なる表示になっていたものと思われる。

(※)同登記所の明治22年の登記済証には、「土浦治安裁判所」名義の契印がみられる。後記(1-3)

 

 登記法(明治19年法律第1号)第20条

  地所船舶売買譲与ノ登記ヲ受ケ地券鑑札ノ下付若シクハ書換ヲ請ハントスル

  者ハ登記所ヨリ登記済ノ証ヲ受く可シ

 

(1-2)旧登記法時代の登記済証~明治21年

 

 これは、上記(1-1)と同じ茨城県新治郡土浦町の土地にかかる登記済証であり、上記から5ヶ月後に作成された地所売渡証による所有権移転登記の登記済証である。 

 この書面には、登記所の契印は見当たらない。

 

 また、本書は、売主の署名押捺のみならず、保証人・代書人・周旋人まで並べた本格的なものとなっている。

 

 

登記法(明治19年法律第1号)第8条

 登記ヲ請フ者アルトキハ登記官吏直ニ前条ノ概目ヲ審査シテ登記簿ニ登記シ本人ニ 之ヲ示シ又ハ読聞セタル上本人ヲシテ署名捺印セシメ且之ニ署名捺印スヘシ

 

 

 

(1-3)旧登記法時代の登記済証~明治22年

 

上記の登記済証の1年後の明治22年3月のもの(部分)を見ると、その契印部分に「土浦治安裁判所」なる文字がみえる。これは、この当時登記事務を治安裁判所が担っていたことに他ならない。

 

登記法(明治19年法律第1号)第3条

 登記事務ハ治安裁判所ニ於テ之ヲ取扱フモノトス治安裁判所遠隔ノ地方ニ於テハ郡区役所其他司法大臣指定スル所ニ於テ之ヲ取扱ハシム

 

 当初数少なかった治安裁判所における事務の集中を回避し、かつ利用者の利便をはかるため、遠隔地においては、従前から地券書換事務を担っていた郡区役所でも登記事務を取扱わせていたが、明治21年9月勅令第64号「治安裁判所出張所ヲ置キ登記事務裁判事務ヲ取扱ハシム」により治安裁判所のもとに出張所を設けて、専門官吏が登記および裁判事務を取扱うように整備された。

 

 その後、明治23年11月1日裁判所構成法(明治23年法律第6号)の施行により、治安裁判所は区裁判所と改称され、引き続き登記裁判事務を取扱う事となる。(同法第15条)     

 

明治19年登記法ほか(明治26年日本法令大全より).pdf
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(2)旧登記法時代の地所書入登記済証

 

これは、明治27年4月26日に作成された債務者甲某とその保証人乙某から債権者丙某に差し入れられた金70円の借入れ証書であり、同時にその金銭を被担保債権として土地6筆を担保として差し出す抵当権設定契約書でもある。当時抵当権設定のことを「書き入れ」と称していた。

そして、この契約書を原因証書として直ちに抵当権設定登記申請がなされ明治27年4月26日花巻区裁判所黒澤尻出張所受付第834号で登記されたことがわかる。(1枚目の右下に登記済印がみえる。)

 またこの文書で特徴的なものは、保証人の左側に代筆した代書人の「右代書ス」の言葉とともに署名押印を見ることができ、当時の代書人の活躍のさまを垣間見る気がする。

なお、3枚目の末尾にある登記済印は、抵当権の抹消時に押捺されたものである。

 

 

(3)旧不動産登記法時代の登記済証

 

 旧登記法は、ほどなく改正されて、不動産登記法(明治32年法律第24号)が明治32年6月16日に施行された。

 その頃になると登記済の形態も完成度が高くなってくる。受付年月日・受付番号・登記済印・扱い庁印が揃い、平成17年3月の100年ぶりといわれた新不動産登記法の誕生により登記済制度が廃止になるまで、基本的にこのスタイルが承継された。

 これは、明治36年12月22日掛川区裁判所受付第9255号のもの。

 

明治32年司法省令 不動産登記規則附録書式(明治33年刊帝國六法全書より).pd
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 ※ この当時の土地の登記簿は、不動産表示を掲げる「表題部」をはじめ、所有権の経緯を記載する「甲区」、地上権及び永小作権の「乙区」、地役権の「丙区」、先取特権・質権及び抵当権の「丁区」、賃借権の「戊区」で構成されていた。

現在の登記簿は、表題部及び権利部(甲区・乙区)という構成である

(4)大正時代の金銭消費貸借抵当権設定契約書による抵当権設定登記済証

 

 1枚目の右下に大正9年11月3日川越区裁判所受付第2598号の記載があり、それとは離れた場所である2枚目の末尾に登記済印と扱い庁印がある。

なお、司法代書人(※)の名前入りの定型文言が予め印刷されている罫紙を使っている。

  

※明治5年に「司法職務定制」で定められた「代書人」は、大正8年に裁判手続(登記事務は裁判事務に含まれる。)を代行する法律専門職能としての「司法代書人」とそれ以外の事務を代行する「一般代書人」に区分され、さらに昭和10年に「司法代書人」は「司法書士」へとその名称が変更された。

  

司法職務定制(抜粋)
明治5年8月3日太政官布告抜粋.pdf
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